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大阪地方裁判所 平成元年(ワ)1014号 判決

原告

三宅正剛

原告

豊田賀津明

原告

平木明夫

原告

豊田明彦

原告

曽我部昭

原告

森岡義昭

原告

山本英明

原告

楽々浦勝博

原告

江内谷誠

原告

松本俊宏

原告

松本敏行

原告

佐々木進

原告

新谷健朗

原告

吉田親

右原告ら訴訟代理人弁護士

里見和夫

菊池逸雄

被告

安威川生コンクリート工業株式会社

右代表者代表取締役

田中一郎

被告

田中一郎

右被告ら訴訟代理人弁護士

池田俊

奥村正道

主文

一  原告三宅正剛、同豊田賀津明、同平木明夫、同曽我部昭、同森岡義昭、同楽々浦勝博、同江内谷誠、同松本俊宏、同松本敏行、同佐々木進、同新谷健朗、同吉田親が被告安威川生コンクリート工業株式会社に対し雇用契約上の権利を有する地位にあることを確認する。

二  原告らの被告安威川生コンクリート工業株式会社に対するその余の請求をいずれも棄却する。

三  原告らの被告田中一郎に対する請求をいずれも棄却する。

四  訴訟費用は、被告両名に生じた費用の一四分の一及び原告豊田明彦に生じた費用を同原告の負担とし、被告両名に生じた費用の一四分の一及び原告山本英明に生じた費用を同原告の負担とし、被告安威川生コンクリート工業株式会社に生じた費用の一四分の六、被告田中一郎に生じたその余の費用及びその余の原告ら一二名に生じた費用の二分の一を同原告らの負担とし、被告安威川生コンクリート工業株式会社及び同原告らに生じたその余の費用を同被告の負担とする。

事実及び理由

第一請求

一  被告らは、各自、

1  原告三宅正剛に対し、金三八四万九〇六六円及び平成元年二月二五日以降毎月二五日限り各金二九万六〇八二円を、

2  原告豊田賀津明に対し、金三九七万一八六四円及び平成元年二月二五日以降毎月二五日限り各金三〇万五五二八円を、

3  原告平木明夫に対し、金四〇二万〇六四〇円及び平成元年二月二五日以降毎月二五日限り各金三〇万九二八〇円を、

4  原告豊田明彦に対し、金三七九万六〇〇〇円を、

5  原告曽我部昭に対し、金三九九万九二五五円及び平成元年二月二五日以降毎月二五日限り各金三〇万七六三五円を、

6  原告森岡義昭に対し、金三〇五万三二〇六円及び平成元年二月二五日以降毎月二五日限り各金二三万四八六二円を、

7  原告山本英明に対し、金三六六万二四六〇円を、

8  原告楽々浦勝博に対し、金二七一万九〇九三円及び平成元年二月二五日以降毎月二五日限り各金二〇万九一六一円を、

9  原告江内谷誠に対し、金三五九万六三八五円及び平成元年二月二五日以降毎月二五日限り各金二七万六六四五円を、

10  原告松本俊宏に対し、金四二二万五八五八円及び平成元年二月二五日以降毎月二五日限り各金三二万五〇六六円を、

11  原告松本敏行に対し、金四二〇万〇九八九円及び平成元年二月二五日以降毎月二五日限り各金三二万三一五三円を、

12  原告佐々木進に対し、金四一三万八五七六円及び平成元年二月二五日以降毎月二五日限り各金三一万八三五二円を、

13  原告新谷健朗に対し、金二九二万六七二九円及び平成元年二月二五日以降毎月二五日限り各金二二万五一三三円を、

14  原告吉田親に対し、金三八三万六四一七円及び平成元年二月二五日以降毎月二五日限り各金二九万五一〇九円を、

各支払え。

二  主文一項と同じ。

第二事案の概要

本件は、原告ら一四名が、被告安威川生コンクリート工業株式会社(以下「被告会社」という。)のしたロックアウトが違法であり、被告会社に対して右ロックアウト中も賃金請求権を有し、また、被告会社が、その代表取締役である被告田中一郎(以下「被告田中」という。)の個人企業であって、その法人格が形骸に過ぎず否認されるべきであるなどと主張して、被告ら両名に対し、右ロックアウト開始後現在までの賃金の支払を求め、また、原告豊田明彦及び同山本英明を除く原告ら一二名が、被告会社の主張するように、被告会社との間で任意に退職する旨の合意を締結したことはないと主張して、被告会社に対して、雇用契約上の権利を有する地位にあることの確認を求めた事案である。

一  争いのない事実

1  被告会社(資本金一〇〇〇万円)は、生コンクリート(以下「生コン」という。)の製造、卸売、小売を業とする株式会社であり、被告田中は、その代表取締役である。

2  原告らは、昭和六三年一月当時、被告会社に雇用されていた者である。

原告三宅正剛は昭和五二年五月、同豊田賀津明は昭和五五年九月、同平木明夫は同年六月、同豊田明彦は昭和五四年四月、同曽我部昭は昭和五〇年一〇月、同松本俊宏は昭和五三年二月、同松本敏行は昭和五一年一一月、同佐々木進は昭和五三年四月、同吉田親は昭和四七年一〇月にそれぞれ雇用されて、いずれも運転手の職に従事し、原告森岡義昭は昭和五三年一〇月、同山本英明は昭和五四年三月、同江内谷誠は昭和五五年九月、同新谷健朗は同年三月にそれぞれ雇用されて、いずれも製造部門の職種に従事し、同楽々浦勝博は同年五月に雇用されて、場内整備の職種に従事していた。

3  原告らと被告会社間では、賃金について、毎月二〇日締め、二五日に支払う旨の約定があった。

4  原告らは、昭和六二年九月一六日、全日本建設運輸連帯労働組合関西地区生コン支部(以下「連帯労組」という。)に加盟し、原告ら一四名のみで、「連帯労組安威川生コン分会」(以下「分会」という。)を組織した。

連帯労組と原告らは、同日、被告会社に対し、過去三年数か月間凍結されてきた賃上げ、一時金、労働条件等の凍結を解除し、右凍結期間中の賃金、一時金全額の支払などを求めて団体交渉を申し込み、被告会社との間で二回の団体交渉をしたが、物別れに終わり、同年一一月五日、二四時間ストライキ、同月一三日、二六日、一二月二日、七日、一四日、一五日にそれぞれ一時間から八時間の時限ストライキ(以下、右一一月五日のストライキを含め「本件ストライキ」という。)を実施するなど争議行為(以下「本件争議行為」という。)を行った。

5  被告会社は、同年一二月二〇日原告らに対し、ロックアウト(以下「本件ロックアウト」という。)を通告して、原告らの工場内の立入りと就労を拒否し、昭和六三年一月分以降の賃金を支払わず、かつ、原告らが同年一一月三〇日付けで被告会社を退職したと主張し、原告豊田明彦、同山本英明を除く原告らが被告会社に対し雇用契約上の地位を有することを争っている。

二  主たる争点

1  本件ロックアウトの合法性

(一) 原告らの主張

本件ロックアウトは、先制攻撃的なロックアウトであって、その正当性を基礎づける事実の存在しない違法なものであり、被告会社は、原告らに対し、本件ロックアウト中の賃金支払義務を免れない。

(1) 本件争議行為の原因は、被告会社の原告らの団体交渉申込に対する交渉態度が、極めて誠意に欠けるものであったことにある。すなわち、原告らは、連帯労組に加入すると同時に、被告会社に対し、過去三年数か月間凍結されていた賃上げ、一時金の見直し、切り下げられた労働条件の復元、右期間中の未払賃金、一時金の全額支払などを求めて団体交渉を申し入れた。これに対し、被告会社は、昭和六〇年四月、原告らが連帯労組に加盟するまで所属していた全日本運輸一般労働組合関西地区生コン支部という名称の労働組合(以下「運一労組」という。)に対して申し入れた、〈1〉ユニオンショップ協定に基づく解雇問題、〈2〉昭和五七年一一月から昭和五八年四月までの被告会社の争議(以下「昭和五七年争議」という。)に関する分会役員の責任と処分、〈3〉分会役員以外の右争議の参加者の責任、〈4〉原告松本敏行の配置換えと退職金、〈5〉右争議による被告会社の実損の回復、〈6〉〈1〉の解雇以後にされた争議による被告会社の実損の回復などの問題(以下「六項目要求」という。)についての話合いが先であるとして交渉を拒否した。しかし、右問題中、〈2〉、〈3〉、〈5〉は、被告会社が昭和五八年五月二八日に運一労組との間で締結した協定により、〈1〉、〈6〉の問題は、被告会社が昭和六〇年五月一〇日、運一労組との間で締結した協定により解決済みであり、〈4〉は、被告会社がその責任において実施した構造改革事業により生じた問題であり、原告らやその所属組合に対して要求するのは筋違いの問題である。

したがって、被告会社の右交渉態度は極めて誠意に欠けるものというべきである。

(2) 原告らの本件争議行為の態様は、短時間の時限ストライキ又は順法闘争であり、相当性に欠けるものではない。

(3) 本件争議行為の結果、被告会社の売上額に減少が生じたとしても、その売上の大半を占める北大阪阪神地区生コンクリート協同組合(以下「協同組合」という。)が割り当てた額に出荷額が達しない場合には、右不足額について一立方メートル当たり三〇〇〇円の調整金を協同組合から支払われており、被告会社の存立が脅かされるような状況もなかった。また、被告らは、昭和六一年二月、四億五七〇〇万円を借り入れて、大阪府茨木市内の不動産を投機目的で購入しており、資産的に余裕があったものと認められる。

(二) 被告らの主張

原告らの本件争議行為は、違法性の強いものであり、被告会社は、原告らの争議行為の結果、原告らに対する賃金債務を免れなければ、被告会社の存立も脅かされる事態の下で、やむなく本件ロックアウトを実施したものであって、右ロックアウトは、衡平の原則に照らし、対抗防衛手段として相当なものであるので、被告会社は、本件ロックアウト期間中の賃金債務を免れる。

(1) 原告らは、被告会社が、原告らが加盟していた運一労組及びその分会との間で、長年の交渉の結果、本件六項目中、昭和五七年争議参加者の責任と被告会社の右争議などによる実損回復の意味で、昭和六二年三月二〇日までの賃金一時金の凍結などの労働条件を合意していたにもかかわらず、連帯労組に所属替えをしたとして、右凍結期間中の賃金、一時金等の全額の支払を求めるなど信義に反する交渉態度をとったため、被告会社が右六項目要求中、昭和五七年の争議についての当時の分会役員の責任処分などの未解決の問題についての交渉を求めたものであって、被告会社の交渉態度には何ら誠意に欠ける点はない。

(2) 原告らの争議行為の態様は、ストライキ開始を予告せず、その解除の時期も明らかにせずにストライキを実施し、休憩時間までに被告会社に戻るためとして、現場での打込み作業を中断して被告会社に戻る等の違法な争議行為を繰り返したものであり、その結果、被告会社は、その売上の大半を占める協同組合からの注文が、昭和六二年一一月には予定量の二三パーセント、一二月には同一三パーセントにまで激減し、右二か月間で売上げが約一億三三〇九万一一五〇円、粗利益が五二五〇万五三二八円減少して、資金繰りが急速に悪化し、企業の存立を脅かされる状況となった。そこで、被告会社は、やむを得ず本件ロックアウトを行ったものである。

2  原告らの賃金額と範囲

(一) 原告らの主張

(1) 原告らは、被告会社に対し、昭和六三年一月分以降の賃金債権を有し、その支払期は毎月二五日であるところ、その賃金額は、通常、賃金不払となった時期の直前の三か月(昭和六二年一〇月ないし一二月)の平均賃金を基礎に算定すべきであるが、同年一一月、一二月については被告会社が意図的に受注を減少させたため、賃金もそれまでの月に比べて低くなっているので、同年八月から一〇月までの三か月を基礎に算定すべきである。

したがって、原告らの一か月の賃金額(健康保険料及び所得税等を控除した後の額)は、原告三宅正剛が金二九万六〇八二円、同豊田賀津明が金三〇万五五二八円、同平木明夫が金三〇万九二八〇円、同豊田明彦が金二九万二〇〇〇円、同曽我部昭が金三〇万七六三五円、同森岡義昭が金二三万四八六二円、同山本英明が金二四万四一六四円、同楽々浦勝博が金二〇万九一六一円、同江内谷誠が金二七万六六四五円、同松本俊宏が金三二万五〇六六円、同松本敏行が金三二万三一五三円、同佐々木進が金三一万八三五二円、同新谷健朗が二二万五一三三円、同吉田親が金二九万五一〇九円となる。

(2) したがって、原告豊田明彦は、平成元年一月一九日付けをもって被告会社を退職したので右賃金額の昭和六三年一月分から平成元年一月分までの一三か月分の賃金を、同山本英明は、平成元年三月二四日付けで被告会社を退職したので、昭和六三年一月分から平成元年三月分までの一五か月分の賃金を、その余の原告らは、昭和六三年一月分以降の賃金(ただし、昭和六三年一月分から平成元年一月分までの合計額とその後の各月分)の支払を請求することができるのであるから、第一、一記載の賃金の支払を求める。

(二) 被告らの主張

仮に、原告らが被告会社に対して賃金債権を有するとしても、

(1) 被告会社は、昭和六二年一一月と一二月の受注を意図的に減らしたことはないのであるから、その額は、不払の直前である昭和六二年一〇月ないし一二月分の三か月分を基礎に算定すべきである。したがって、原告らの月額賃金額は、原告三宅正剛が金二五万九四八一円、同豊田賀津明が金二六万四七一二円、同平木明夫が金二六万六八三七円、同豊田明彦が金二七万一〇三八円、同曽我部昭が金二六万八〇九〇円、同森岡義昭が金二一万二五二六円、同山本英明が金一九万五三六四円、同楽々浦勝博が金一九万四四八一円、同江内谷誠が金二三万一七三四円、同松本俊宏が金二八万四九三七円、同松本敏行が金二八万四九三六円、同佐々木進が金二八万三〇三九円、同新谷健朗が二一万〇四八一円、同吉田親が金二六万〇四一四円となる。

(2) 被告会社は、本件ロックアウト後、原告らの実力による妨害のため、コールゲート貯蔵ビンやバッチャープラントなどの工場設備からコンクリートを抜き取るなど工場設備の保全に必要な最小限の作業もできなかったため、結局、右工場設備が使用不能となり、工場再開に多額の費用を要することとなった。しかし、被告会社は、その資力がないため、平成元年一月には工場再開を断念せざるを得なくなった。

したがって、原告らは、少なくとも、同年二月一日以降の賃金債権を有しないと解すべきである。

3  法人格否認

(一) 原告らの主張

被告田中は、被告会社とは法律上、別人格であるが、被告田中とその一族が被告会社の全株式を保有し、経営、人事などその完全な支配権を有する上、被告会社の本社事務所兼工場の敷地全部及び被告会社の業務遂行上不可欠なコンクリートミキサー車(以下「生コン車」という。)一八台全部が被告田中個人の所有に属し、右工場中機械室とその付属建物及び機械設備が同被告が支配する大丸興産株式会社に売却されており、同社に対する被告会社の賃料の支払の有無が明確でないなど被告田中個人の財産と被告会社の財産が混同されている。

以上のように、被告会社は、会社組織として形骸化し、実質上被告田中の個人企業と同視できるのであるから、被告田中も被告会社と共に原告らに対する右賃金債権の支払義務を負担すべきである。

したがって、原告らは、被告田中に対しても第一、一記載の賃金の支払を求める。

(二) 被告らの主張

被告会社について、法人格否認の法理の適用の余地はなく、被告田中個人が原告らに対して賃金債権の支払義務を負うことはない。すなわち、被告会社は、被告田中により法人格を濫用して設立されたものではなく、被告田中が、被告会社の財産と個人財産とを混同していることはない。被告田中は、被告会社の代表取締役として、その業務全般を執行し監督しているものであり、また、被告会社の経営者としての責任を果たすべく、個人財産を被告会社の運営に提供しているに過ぎず、被告会社は、会社組織を確立している。

3(ママ) 被告会社と原告ら間の退職合意締結の有無

(一) 原告らの主張

原告豊田明彦及び同山本英明を除く原告ら一二名は、被告会社に対し、雇用契約上の権利を有する地位を有するにもかかわらず、被告会社は、右原告らとの間に退職合意がある旨を主張して、その地位を争う。

したがって、右原告ら一二名は、被告会社に対し、右雇用契約上の権利を有する地位にあることの確認を求める。

(二) 被告らの主張

被告会社は、昭和六三年一一月二三日、原告豊田明彦との間で、同原告が、同原告を除く原告ら一三名も代理して、原告ら一四名全員が同月三〇日限り任意退職する、原告らが運送会社を設立し、右会社は、同年一二月一日から被告会社の専属下請けとして生コンの運送業務に従事する、被告会社は、右運送会社に対してその保有する生コン車を貸与する、運賃は、一立方メートル当たり一三〇〇円とする、被告会社が操業を再開し、業務が軌道に乗り始めた時、被告会社は、原告ら各自に対し、金一五〇万円を手形で支払い、被告田中が右手形を保証する、右合意を証する書面は後日弁護士に依頼して作成する、旨合意した。

したがって、原告豊田明彦及び同山本英明を除く原告らの地位確認請求は失当であるし、仮に、原告らが被告会社に対して賃金請求権を有するとしても、同年一二月一日以降の賃金債権は発生しない。

三  証拠

記録中の書証目録、証人等目録記載のとおりであるから、これを引用する(略)。

第三争点に対する判断

一  本件ロックアウトの合法性

1  前記の争いのない事実に証拠(〈証拠・人証略〉)及び弁論の全趣旨を総合すると、次の事実が認められる。

(一) 本件争議前の労使関係

(1) 被告会社の従業員は、昭和五三年ころまでに武健一(以下「武」という。)委員長が指導する全日本運輸一般労働組合関西地区生コン支部(以下「旧組合」という。)に加盟し、同年四月ころ、同支部の分会(以下「旧分会」という。)を結成した。

(2) 被告会社は、昭和五三年、協同組合に加盟し、昭和五五年六月、被告田中が協同組合理事長と大阪兵庫生コンクリート工業組合(以下「工業組合」という。)の常任理事に就任したが、同被告が武委員長と生コン業界関係者の一部が保養所の建築について不正の利を得ているなどと批判し、同委員長からの協同組合理事長辞任要求を拒否したところ、旧組合は、昭和五六年九月一六日から一〇月八日まで被告会社に対してストライキを実施し、被告田中は、工業組合の常任理事を辞任した。なお、被告会社は、右ストライキ中に、旧組合の申入れに応じて旧組合との間でユニオンショップ協定を締結した。

(3) 被告田中は、昭和五七年九月、原告三宅ら旧分会三役との間の話合いにおいて、同人らに対し、武委員長に批判的な工業組合改善委員会の発表を紹介したところ、同原告ら旧分会三役が、これを無断で録音した上、テープに編集を加えて旧組合の執行部へ提出した。旧組合は、右テープを根拠に、同年一〇月、被告田中が不当労働行為的言動をしているので、被告会社の対労務姿勢について真意を明らかにせよなどとして、被告会社に対して団体交渉を申入れ(〈証拠略〉)、被告会社が団体交渉の具体的な内容の特定を求めたところ(〈証拠略〉)、同年一一月二二日、全日ストライキを実施し、これに対し、被告会社もロックアウトを実施して、昭和五七年争議が発生した。旧分会所属の組合員は、被告会社に対し、金員の仮払を求める仮処分を、旧組合と旧分会は、組合事務所の使用妨害禁止等を求める仮処分を、それぞれ大阪地方裁判所に申請し、同年一二月二一日、右金員仮払を求める仮処分申請が、昭和五八年三月二二日、右妨害禁止仮処分がいずれも認容され、被告会社は、ロックアウトを解除して、組合員らが就労した。被告会社は、旧組合との交渉において、昭和五七年争議が、旧分会三役が右録音テープを意図的に編集したため生じたものであることを知り、右争議が分会三役の責任により争議行為を行うべき理由がないのに行われた違法性の明らかな争議であるとして、原告三宅正剛ら旧分会三役の退職と被告会社に対する損害賠償請求を要求した。その結果、被告会社と旧組合は、昭和五八年五月二〇日、被告会社は、被告田中の言動について、旧組合に誤解を招く結果となったことに遺憾の意を表明し、旧組合は、旧分会三役に同被告の発言を拡大解釈及び歪曲的要素があったことを認識して対処する旨の覚書(〈証拠略〉)を作成した。そして、同年五月二八日、被告会社代表取締役の被告田中、旧組合委員長武、旧分会長寺本勉は、旧組合が、被告会社の置かれている厳しい現状を認識し、会社の再建発展に協力する、旧組合は、今回の紛争解決にあたり、被告会社の受けた損害を理解し、被告会社は、旧組合及びその組合員が受けたそれぞれの実損につき協議解決するなどの内容の協定書(〈証拠略〉)を作成して、労使協定を締結した。なお、右寺本は、右協定締結後間もなく被告会社を任意に退職した。

(4) 旧組合の構成員は、昭和五八年一〇月一〇日、武委員長の指導する連帯労組に所属する者と、運一労組に所属する者に別れ、それぞれの組合が旧組合を承継するものであると主張して紛争となったが、被告会社の従業員中、連帯労組に所属したのは一名のみで、原告ら一四名は全員運一労組に所属し、運一労組における被告会社の分会(以下「新分会」という。)を構成した。その後、被告会社の従業員中、連帯労組に所属する者は、四名となった。

(5) 武は、昭和五八年一〇月一一日、被告会社に対し、原告豊田明彦、同三宅正剛及び西川和義の三名を除名したので、ユニオンショップ協定に基づき解雇するように申し入れ、被告会社は、右三名を解雇した。被告会社は、当時(4)の組合事情を知らず、右三名が旧分会の指導的地位にあったものであったため、右の申入れは、昭和五七年争議の責任を取って旧分会三役が退職することを求めた被告会社の前記要求が受け入れられたものであると理解していた。

そして、被告会社は、同年一二月一四日、旧組合の代表者であると考えていた武委員長に対し、金三五〇〇万円を支払い、被告会社と「運輸一般関西地区生コン支部労働組合執行委員長武健一」名義で、右金員が昭和五八年五月二八日付けの協定書にいう組合の受けた実損の解決金であることを確認する旨の文書を作成した(〈証拠略〉)。

(6) 被告会社によって解雇された原告豊田明彦ら右三名は、解雇の効力を争い、大阪地方裁判所に地位保全を求める仮処分を申請し、被告会社は、右仮処分の手続において、(4)の事情を知った。同地裁は、昭和五九年一二月、右申請を認容し、その後、原告らと被告会社は、団体交渉をした。右の団体交渉においては、原告らと運一労組は、昭和五八年五月二八日の協定が武委員長が勝手に締結したもので、これを承継しない旨主張したのに対し、被告会社は、運一労組に対し、ユニオンショップ協定に基づく右解雇については、解雇後に明らかになった(4)の経緯に照らし、組合間の対立抗争に利用されたものであるとしてその無効を認め、解雇者の職場復帰を認めるが、これとは別に、昭和五七年争議当時の旧分会役員(原告三宅、西川)について、無断で録音したテープを編集して、争議の原因たるべき事実が存在しないにもかかわらず右争議を発生させ、被告会社に損害を与えた責任を追及しその処分(退職等)を求める、右の者以外の争議参加者(原告豊田明彦ら)の責任を追及する、原告松本敏行の配置替えと退職金等の問題の協議、右争議による会社の実損回復として被告会社が後記(7)で提案した労働条件の改訂の承諾を求める、前記ユニオンショップ協定に基づく解雇後の争議行為による被告会社の損害の回復を求めるなどの六項目要求をした(〈証拠略〉)。交渉の結果、被告会社は、昭和六〇年四月一一日、運一労組執行委員長平岡義幸及び新分会長原告豊田明彦との間で、運一労組は、被告会社と旧組合との間の昭和五八年五月二八日の協定を承継すること、運一労組は、被告会社の右六項目要求について引き続き協議し、解決に努力すること、などを合意して、確認書(〈証拠略〉)を作成し、さらに、昭和六〇年五月一〇日、被告会社が原告豊田明彦ら右三名について仮就労までの仮処分認容額の支払と仮就労後本就労までの賃金についても被告会社が誠意をもって解決する旨を合意して、確認書(〈証拠略〉)を作成した。なお、西川は、その後、任意に被告会社を退職した。

(7) この間、被告会社は、昭和五七年争議で多大な損失を受け悪化した経営を改善し、六項目要求中、旧分会役員以外の右争議参加者の責任を追及し、右争議及び前記ユニオンショップ協定に基づく解雇以後の争議による被告会社の実損を回復する措置として、昭和五九年八月一日、運一労組及び連帯労組に対し、従前の労働協約を破棄改訂する旨を通告し、同年一〇月二九日付けで、同年一一月一日から労働時間の一時間の延長、残業手当、深夜割増手当の労働基準法所定の額までの減額などの労働条件の改訂(〈証拠略〉)と昭和六二年三月までの昇給停止とボーナスの不払を申し入れた。そして、被告会社は、昭和五七年争議に関与していない従業員が所属する連帯労組との間で、昭和五九年一二月一三日、連帯労組は、昭和五八年五月二八日付け協定書に基づき企業再建に協力する、右協力期間は、昭和五九年度から昭和六二年度までの三か年とし、その間の賃上げ、一時金、その他の条件等を凍結する、三年後に凍結は解除し、被告会社は誠意をもって連帯労組と話し合い、凍結分の賃金、一時金、その他の条件等を協議し、解決する、などの内容を合意し、その旨の確認書(〈証拠略〉)を作成した。

(8) 他方、原告らは、昭和六〇年七月、被告会社に対し、従前の労働協約を基準とした残業時間及び割増金の差額請求を求める仮処分申請を大阪地方裁判所にした(〈証拠略〉)。

その後、被告会社と運一労組及び新分会は、交渉の結果、被告会社が原告らの右差額賃金相当額を訴訟関係費用名下に支払うことで右申請を取り下げることになり、昭和六一年五月一七日、運一労組が右仮処分申請を取り下げる、被告会社の申入れに係る新労働条件を昭和六二年三月二〇日までの暫定の協定とし、以後の労働条件は、右申入前の協定を基本に協議する旨を合意して、右三者間で確認書(〈証拠略〉)を作成した。その際、運一労組は、昭和六二年三月までの昇給中止とボーナス不払という被告会社の要求を受諾した。被告会社は、右合意に基づき、運一労組に対し、裁判費用名下に合計金一五〇万円を支払い、右仮処分申請は取り下げられた。

(9) 被告会社は、この間、昭和六〇年五月二三日、運一労組に対し、団体交渉を要求するなどして六項目要求の解決を求め(〈証拠略〉)、同組合及び新分会も、同年六月二五日、被告会社と、六項目要求中、ユニオンショップ協定に基づく解雇の問題以外の五項目について、話合いを数回行い、被告会社の見解とは相違するものの、当時組合のした行為がすべて正しかったとは考えていないし、被告会社のいう経営悪化の状態があるとすれば、企業を護る立場から協力を惜しまない、労使双方が関係修復のため早期に話し合い解決にあたるよう要請するなどと回答していた(〈証拠略〉)。そして、被告会社は、前記の昭和六一年五月一七日の合意後も、運一労組に対し、六項目要求の解決を求めていた。そして、昭和六一年七月、運一労組茨木統合分会安威川班の名で、原告ら一四名が署名押印して、過去の争議を教訓として事の善悪をひとつひとつ解明していくことを表明し、今後の健全な労使関係の確立に協力する旨の声明書(〈証拠略〉)が、同年九月、原告三宅正剛作成の、今になって思えば被告会社と自分達旧分会員の間にはストになる理由は何もなかった、などと記載した文書(〈証拠略〉)が、それぞれ被告会社に対して提出された。

そして、被告会社と運一労組との間の昭和六二年七月の夏季一時金交渉の際にも、同月二七日、新分会長原告豊田明彦名で被告会社に対し、昭和五七年争議により被告会社がしたロックアウト問題を踏まえて組合員が努力し双方が充分な話合いと理解をもって問題解決にあたっていれば、今日までの不幸な結果にならなかったと思う、今後、このような不幸な問題が起きないよう組合員も努力し、労使がお互いを尊重し労使協議の上解決にあたるように確認するなどと記載した文書(〈証拠略〉)が提出された。これを受けて、被告会社は、同年八月、原告らの所属する新分会代表者豊田明彦との間で同年度夏季一時金の交渉を妥結させ、一時金を支払ったが、その際、被告会社代表取締役である被告田中と新分会代表者原告豊田明彦との間で、原告側が従前の労働条件で平穏に勤務を継続すれば、被告会社は、同年年末支払の一時金は同業他社並みに支払う旨を合意した。

(10) 他方、被告会社は、連帯労組所属の従業員であった西山実雄ら四名全員を解雇し、同人らがこれを争っていたが、昭和六二年八月八日、連帯労組との間で、被告会社が連帯労組に対して一六〇〇万円を支払い(〈証拠略〉)、右四名の解雇を撤回した上、右四名が任意退職する旨合意し、その旨の協定書(〈証拠略〉)を作成した。

(二) 本件争議の態様

(1) 原告ら一四名は、昭和六二年九月一六日、運一労組の分会員全員で同労組を脱退した上、被告会社の従業員には組合員がいない状態であった連帯労組に加盟し、右一四名により分会を結成した。同日、連帯労組は、被告会社に対し、原告らの連帯労組加盟と分会結成等を通告する(〈証拠略〉)とともに、過去三年数か月間の賃上げの凍結を解除し、労働条件の引下げをすべて元へ戻すこと、右期間中の実損(未払賃金)を全額支払い、賃上げ、一時金も同業者並みに支払うことなどを求めて団体交渉を申し込んだ(〈証拠略〉)。同年九月二五日の第一回の団体交渉では、被告会社が原告らの要求と説明を聞き、同年一〇月一五日の第二回団体交渉では、被告会社が、運一労組との間で交渉が継続していた六項目要求中、昭和五七年争議に関する原告三宅正剛ら旧分会三役の責任問題など未解決の問題について先議することを求めたのに対し、原告らと連帯労組は、運一労組とは別組織であるなどとして右問題について先に協議することを拒否して退席し、団体交渉を打ち切った。

(2) 連帯労組と原告らは、昭和六二年一一月五日午前八時から二四時間、同月一三日午前八時三分から同九時五五分まで、同月二六日午前一二時三三分から午後一時三三分まで、一二月二日午前八時一五分から午後一時三〇分まで、同月七日午前八時二〇分から同一〇時二〇分まで、同月一四日午前八時から同九時五六分まで、同月一五日午前八時から午後四時までの時限ストライキを行った。

そして、原告らは、本件ストライキ以外に、争議の手段として、同年一一月九日以降毎日、生コン車の速度を落とす措置を採り、また、同月一〇日以降毎日、生コン車の積載量を日常行っていた四・五立方メートルから法定の四・二五立方メートルに減らすなどの措置を採った。

また、生コンの納品においては、買主が現場の工程に従って生コン車の到着時刻を指定するため、生コン車を運転する従業員が右休憩時刻までに帰着できないことがしばしば発生していた。被告会社は、このような作業実態に対処するため、旧組合との間において、昼の休憩を午前一一時三〇分から午前一二時三〇分までとするが、業務の都合により休憩時間の中途又は休憩時間後に帰着した場合は、帰着後一時間の休憩を取る旨の労働協約(〈証拠略〉)を締結し、被告会社が従前の労働協約の破棄を原告らに通告した後も右の取扱いがされており、本件ストライキ当時、これが労働契約の内容になっていた。

原告らは、右のような作業実態と昼の休憩の取り方の実情を踏まえた上で、同月一〇日以降、午前一一時三〇分までに帰着するためとして、取引先の現場で生コン打設作業中であっても作業途中で打ち切り、残りの生コンを被告会社へ持ち帰ったり、運搬中の生コンを被告会社に持ち帰った。このような場合、JIS規格によれば、生コンの練上げから打込みの完了までは九〇分以内に完了することを要するものとされていたため、持ち帰られた生コンが使用不能となり、被告会社がこれを廃棄せざるを得なくなったり、買主が打込み作業を初めからやり直す必要が生じたり、工程が遅れることもあった。このように生コンを持ち帰った原告の数は、一一月一一日三名、一二日一名、一七日三名、二〇日二名、二一日二名、二四日一名、二六日二名、一二月九日一名であった(〈証拠略〉)。

(三) 被告会社の損害

(1) 生コン売買は、セメント生コン大阪卸協同組合(以下「卸協同組合」という。)が、買主との間で売買契約を締結して、協同組合に発注し、協同組合が、右発注を受けた生コンについて、加盟する被告会社ら各業者に対し、各業者の実績等を考慮してあらかじめ定めてある割合(以下「出荷配分率」という。)に応じて、発注量を決定した上、毎日発注し、各業者が、割り当てられた量の生コンを直接買主へ出荷して納品するという方法が採られており、被告会社の売上げの大半もこの方法による取引であった。

(2) 生コン業者は、ストライキが発生すると、協同組合に対し、その旨報告してストライキによる生コンの出荷不能分に係る発注を返上する旨申し出て、協同組合が、右出荷不能分を他の生コン業者に対して再度割り当てて出荷指示するのが慣行であった。

生コン業者は、ストライキの解除時期があらかじめ分かっている場合には、協同組合から出荷配分率に応じて当該日に割り当てていた生コン発注高(以下「当日割当分」という。)中出荷不能分を特定した上、右部分に係る発注のみを返上し、その残部に係る発注に応じて出荷することも可能であるが、ストライキの解除時期が不明な場合には当日割当分全部を返上することを余儀なくされた。また、加盟業者に対して争議状態が発生した場合、ストライキが予告なく行われ、何時ストライキが実施されるか予測がつかないときには、ストライキが実施された時点で初めて出荷不能状態の発生が判明するため、協同組合は、ストライキ実施の当日になって、急ぎ他の加盟業者に対して、右出荷不能分を再度割り当てざるを得ず、したがって、ストライキ実施日における当該業者の当日割当分の量が、他の業者の当日における出荷能力の余力を超えるときには、出荷不能という事態が生ずる危険がある。そこで、このような事態を防止するため、協同組合は、加盟業者に争議状態が発生すると、当該業者に対して、争議期間中の当日割当分を当該業者の出荷配分率に応じた発注高より、あらかじめ大幅に減少させることを求めるのが慣例であり、当該業者も、協同組合や他の加盟業者に対する自己の取引上の信用を維持し、協同組合を通じて前記のような取引を将来にわたって継続するためには、これを了承せざるを得ない状況にあった(なお、〈証拠略〉の記載も、協同組合が、加盟する業者の了承を得た上、右業者に対する当日割当分を出荷配分率に応じて定めた発注量より減少させ得ることを否定するものではない。)。

(3) 本件ストライキは、予告されず、被告会社に対し、ストライキ開始と同時又はその三分前にその開始が通告された上、解除時期もストライキの終了時まで予告されず、被告会社が当日割当分を返上し、協同組合がこれを他の加盟業者に割り当てたころ合いを見計らって、解除されるという方法で繰り返し実施された。

そのため、被告会社は、ストライキが比較的短時間の時限ストライキであっても、ストライキ実施日の当日割当分全部を出荷不能として返上せざるを得ず、その日を終日休業状態とせざるを得なかった。

また、本件争議行為の開始後、被告会社について、何時ストライキが実施され出荷不能が発生するか予測できない状態となった。そのため、(2)で判示したように、協同組合は、被告会社について生じた出荷不能額が他の加盟業者の同日における出荷能力の余力を超え、出荷不能という事態が生ずる危険を回避するため、本件争議行為の開始後、被告会社に対し、その当日割当分そのものをその出荷配分率に応じて算定した発注高より、大幅に減少させることを求め、被告会社もこれを了承せざるを得ない状態に追い込まれた。

(4) その結果、被告会社は、本件争議行為開始直前の同年一〇月には、協同組合がその月の受注量に被告会社の出荷配分率を乗じて算定した発注予定量(以下「月間出荷予定量」という。)の約九四パーセントに当たる五三〇七・五立方メートルの生コンを出荷したのに対し、本件争議行為が開始された同年一一月には、月間出荷予定量の約二三パーセントに当たる一四〇七・二五立方メートルを、同年一二月には月間出荷予定量の約一三パーセントに当たる六二八・七五立方メートルを出荷できたに過ぎず(〈証拠略〉)、出荷量がこの二か月間の月間出荷予定量より八六一七立方メートル減少した。そして、被告会社が当時最も多く出荷していた生コン(配合一六〇―八―四八〇)の一立方メートル当たりの売却単価が一万三一〇〇円を下らなかったことにかんがみると、少なくとも、被告会社は、月間出荷予定量を出荷した場合より売上額が一億一〇〇〇万円以上減少したものと認められる。被告会社は、このような急激な売上額の減少により、その資金繰りが著しく悪化した。

(5) 協同組合は、加盟業者の実際の出荷量がその出荷配分率を乗じて算定した割当量に満たなかった場合には、右業者に対し、毎年四月一日から九月三〇日までと一〇月一日から翌年三月三一日までの各六か月間を通算した上、その差がマイナスになる場合、右マイナス分について一立方メートル当たり三〇〇〇円の調整金(以下「調整金」という。)を支払っていた(ただし、四月一日から九月三〇日までの六か月間については右の差が一二〇〇立方メートルを超える分についてのみ調整金を支払い、右一二〇〇立方メートル分は、翌年三月三一日の時点で清算して調整金を支払う。)。そして、前記のとおり、被告会社が最も多く出荷していた生コン(配合一六〇―八―四八〇)の一立方メートル当たりの売却単価は、一万三一〇〇円であるところ、その材料費を控除した利益額が約五一一八円であるので、被告会社は、右生コンの出荷減少分について調整金の支払を受けたとしても、売上減少により失った得べかりし右利益の四〇パーセント以上に相当する一立方メートル当たり二一一八円が填補されず(この額に(4)判示の昭和六二年一一月、一二月の月間出荷予定量よりの減少分八六一七立方メートルを乗ずると、一八二五万〇八〇六円の損失が填補されないことになる。)、しかも、本件争議行為による売上減少について調整金の支払を受けることができるのは、昭和六三年四月一日以降であった。

なお、協同組合は、被告会社に対し、昭和六二年一二月二〇日以降の調整金の支払を拒否した。

(6) 原告らは、前判示のように、本件争議行為開始後、午前一一時三〇分の休憩時刻の開始までに被告会社に帰着するためとして、買主の現場で生コン打設作業が継続中であっても、右作業を打ち切って生コン車に積載されていた生コンを被告会社へ持ち帰ったり、運搬中の生コンを被告会社に持ち帰るなどの行為をひんぱんに行ったため、被告会社は、持ち帰られた生コンを廃棄せざるを得なくなるなどの損害を受けたほか、買主も、工程に遅れが生じたり、途中まで打込済みの生コンを廃棄して新たに打込み作業をやり直す必要が生ずるなどの損害を受け、その結果、被告会社の取引上の信用が少なからず害された。

(7) 被告会社は、本件ストライキが実施された期間を含む昭和六二年一〇月二一日から同年一二月二〇日までの間の賃金として、原告らに対し、合計で月平均三五五万円余りの金員を支払った(〈証拠略〉)。

(三)(ママ) 本件ロックアウトとその後の経緯

(1) 被告会社は、前記のような争議行為により、正常な業務の遂行が困難となり、このままの状態では会社の存立も脅かされると考え、同年一二月二〇日、原告らに対してロックアウトを通告し、原告らの工場への立入りと就労を拒否し、その後、被告会社は完全な休業状態となった。なお、原告ら及び連帯労組は、本件ロックアウト開始後も被告会社の工場建物の一部の施錠を破壊して占拠し、以後、常時一、二名の者が常駐している。

(2) 原告ら一四名が所属する連帯労組は、同月二二日、被告会社に対し、ロックアウトの解除を求める申入れを行い(〈証拠略〉)、原告ら一四名も、被告会社に対し、本件ロックアウト開始直後に同旨の申入れをした。

(3) 被告会社は、本件ロックアウト開始後、原告らとの間で交渉し、昭和六三年八月から、原告豊田明彦を原告ら一四名の代表として、交渉を進展させ、同年一一月二三日には、原告ら一四名が被告会社を同年一一月三〇日限り退社する、原告らは、運送会社を設立し、同年一二月一日から右会社が被告会社の専属下請として生コンの輸送に従事する、などの内容で概ね了解に達した。しかし、後記判示のとおり、原告豊田明彦は、右合意を最終的に締結する前に、原告らの本件争議行為を指導していた連帯労組武委員長の意見を確認したところ、同人ら同労組中央が強く反対した。そこで、原告豊田明彦は、最終的には、右合意を締結しない旨を表明し、結局、原告らと被告会社との間で右合意成立には至らなかった。

(4) 被告会社の工場設備であるコールゲートの貯蔵ビン、バッチャープラント内部のセメントを抜き取らずに長期間放置すると、右セメントが湿気のために硬化し、右設備が使用不能になるところ、被告会社は、平成元年一月、これを防止するため、被告会社の工場において右生コンの抜取り作業を行おうとした。しかし、原告ら及び連帯労組の組合員が押し掛けて、実力で作業を妨害したため、右作業ができなかった。

被告会社は、再度右作業を計画しても、同様の事態が発生することが予想されるため、右作業を行うことを断念した。

(5) その結果、被告会社が工場を再開するには、少なくとも二億円の資金で(4)の諸設備を取り替え、整備する必要があるが、被告会社にはその資力がなく、被告会社及び被告田中は、同年一月ころ、工場再開を最終的に断念した。

(6) この間、原告ら一四名は、被告会社を相手方として、大阪地方裁判所に対し、賃金仮払の仮処分を申請し、昭和六三年一二月二六日及び平成元年五月一七日右仮処分は認容された(〈証拠略〉)。しかし、被告会社は、前判示のように、工場の再開を断念し、資力も乏しかったこともあって、右仮処分で支払を命じられた賃金を支払わなかった。

(7) なお、原告豊田明彦は、平成元年一月に、原告山本英明は、同年三月に被告会社を退職した。また、原告豊田明彦は、昭和六三年一二月一七日、紅陽生コンクリート株式会社を設立して、代表取締役に就任し、原告豊田明彦を除くその余の原告らは、本件ロックアウト後永和生コン等において稼働し、それぞれ収入を得ている。

2(一)  以上の事実を認めることができるところ、原告らは、本件ロックアウトは先制攻撃的なロックアウトであって、その正当性を基礎づける事実の存在しない違法なものであり、被告会社は、原告らに対し、本件ロックアウト中の賃金支払義務を免れない旨主張する。

よって、案ずるに、個々の具体的な労働争議の場において、労働者の争議行為により使用者側が著しく不利な圧力を受けることになるような場合には、衡平の原則に照らし、労使間の勢力の均衡を回復するための対抗防衛手段としての相当性が認められる限りにおいては、使用者の争議行為も正当なものとして是認されると解すべきであり、使用者のロックアウトが正当な争議行為として是認されるかどうかも、右に述べたところに従い、個々の具体的な労働争議における労使間の交渉態度、経過、組合側の争議行為の態様、それによって使用者側の受ける打撃の程度等に関する具体的諸事情に照らし、衡平の見地から見て労働者の争議行為に対する対抗防衛手段として相当と認められるかどうかによってこれを決すべく、このような相当性を認め得る場合には、使用者は、正当な争議行為をしたものとして、右ロックアウト期間中における対象労働者に対する個別的労働契約上の賃金支払義務を免れるものというべきである(最高裁昭和五三年(行ツ)第二九号同五八年六月一三日第二小法廷判決・民集三七巻五号六三六頁、同昭和四四年(オ)第一二五六号同五〇年四月二五日第三小法廷判決・民集二九巻四号四八一頁、同昭和四八年(オ)第二六七号同五〇年七月一七日第一小法廷判決・裁判集民事一一五号四六五頁、同昭和四七年(オ)第四四〇号同五二年二月二八日第二小法廷判決・裁判集民事一二〇号一八五頁、同昭和五一年(オ)第五四一号同五五年四月一一日第二小法廷判決・民集三四巻三号三三〇頁参照)。

(二)  これを本件についてみるに、前記認定の事実関係によれば、原告の売上げの大半を占める生コンの売買は、卸協同組合が、買主との間で生コンの売買契約を締結して、生コンを協同組合に発注し、協同組合が、発注された右生コンを、被告会社など加盟の各業者に対し、その出荷配分率に応じて割り当てて更に注文し、被告会社など各業者は、協同組合から注文を受けた生コンを直接買主へ出荷して納品するという取引方法によっていたところ、業者にストライキが発生すると、当該業者は、協同組合に対し、その旨報告してストライキによる生コンの出荷不能分に係る発注を返上する旨申し出て、協同組合が、右出荷不能分を他の加盟業者に再度割り当てて、出荷指示する取引慣行があり、当該業者は、このような慣行の下では、ストライキの解除時期が不明の場合には当日割当分全部を返上せざるを得なかったこと、また、右ストライキが予告なく行われ、何時ストライキが実施されるか予測がつかないときには、協同組合は、ストライキ実施日における当該業者の当日割当分の量が、他の業者の同日における出荷能力の余力を超えるときには、出荷不能という事態が生ずる危険があるため、このような事態を防止する目的で、当該業者に対し、争議期間中のその当日割当分を、その出荷配分率に応じて定めた発注高より、あらかじめ大幅に減少させることを求める慣例であり、当該業者も、これを了承せざるを得ない状況にあったことが認められる。

そして、本件ストライキは、被告会社に対して、予告されず、ストライキ開始と同時又はその三分前にその開始が通告された上、解除時期もストライキの終了時まで予告されず、被告会社が当日割当分を返上し、協同組合がこれを他の加盟業者に割り当てたころ合いを見計らって、解除されるという方法で繰り返し実施されたため、被告会社は、ストライキが比較的短時間の時限ストライキであっても、ストライキ実施日の当日割当分全部を出荷不能として返上し、その日を終日休業状態とせざるを得ず、結局、ストライキ解除後のその日の原告らの労務提供は企業経営上無意味なものとなった上、本件争議行為の開始後、何時ストライキが実施され出荷不能が発生するか予測できない状態となったため、協同組合は、被告会社について生じるかもしれない出荷不能額が他の加盟業者の同日における出荷能力の余力を超え、出荷不能という事態が生ずる危険を回避するため、被告会社に対し、本件争議行為の開始後、その当日割当分そのものを、その出荷配分率に応じて算定した発注高より、大幅に減少させることを求め、被告会社もこれを了承せざる得ない状態に追い込まれたこと、その結果、昭和六二年一〇月には、月間出荷予定量の約九四パーセントに相当する量の生コンを出荷できたのに対し、本件争議行為開始後の同年一一月にはその約二三パーセント、同年一二月にはその約一三パーセントを出荷できたに過ぎなかったことが認められる。

そのうえ、原告らと被告会社との間の労働契約においては、業務の都合により午前一一時三〇分から同一二時三〇分までの休憩時間の中途又は休憩時間後に帰着した場合は、帰着後一時間の休憩を取ることがその内容とされており、原告らは、休憩時間の開始までに帰着するためであっても買主の現場で生コンを打設作業中に作業を打ち切って、これを被告会社へ持ち帰ったり、運搬中の生コンを被告会社に持ち帰るような労働契約上の権利を有していたものとは認められず、しかも、JIS規格上、生コンの練上げから打込みの完了までは九〇分以内に完了することを要するものとされていたにもかかわらず、原告らは、本件争議行為開始後、争議の手段として、休憩時刻の開始までに被告会社に帰着するためとして、取引先の現場で生コンを打設中であっても作業を打ち切ってこれを被告会社へ持ち帰ったり、運搬中の生コンを被告会社に持ち帰るとの行為をひんぱんに繰り返したため、被告会社が、持ち帰られた生コンが使用不能となったため廃棄せざるを得なくなったり、買主が、工程に遅れが生じたり、途中まで打込済みの生コンを捨てて打込み作業をやり直す必要が生じるなどの損害を受け、被告会社の対外的な信用を少なからず害する結果となったことが認められる。

以上によれば、原告らによる本件争議行為は、被告会社に対し、原告らがストライキにより就労しなかったことによる損害をはるかに超える多大の損害を与え続けるものであって、原告らも、このような点を充分認識した上、被告会社を窮地に立たせるべくこのような行為に出たものと認められるものであり、原告らが、本件争議行為開始後、被告会社に対して提供した労働の価値は、仮に、被告会社が本件ストライキによる不就労時間に応じた賃金減額の措置を採ったとしても、原告らに対する賃金負担に到底見合わないものになっており、本件争議行為開始後原告らに対して賃金の支払を継続することは、被告会社のこのような損害を一層拡大させ続ける結果になるものと認められる。

(三)  そして、前記認定の事実によれば、被告会社は、資本金一〇〇〇万円の中小規模の企業であり、昭和六二年一〇月二一日から一二月二〇日までの間、原告らに対し合計で月平均三五五万円余りの賃金を支払っていたところ、前判示のように、昭和六二年一〇月には、月間出荷予定量の約九四パーセントに相当する量の生コンを出荷できたのに対し、本件争議開始後の同年一一月にはその約二三パーセント、同年一二月にはその約一三パーセントを出荷できたに過ぎず、右二か月間の月間出荷予定量より八六一七立方メートルが減少し、売上額も右二か月間で少なくとも一億一〇〇〇万円減少したこと、被告会社は、右売上額の急激な減少のため、その資金繰りが著しく悪化したこと、被告会社が、協同組合から調整金を受け取ったとしても、売上減少により失った得べかりし利益(売値から材料費を控除した価格)の四〇パーセント以上が填補されなかった上、右調整金が支払われるのは、本件争議行為開始の五か月以上後である昭和六三年四月一日以降であり、この間、被告会社の資金繰りが一層悪化することが予想されたこと、本件ロックアウト開始のころ、原告らの本件争議行為が短期間の間に終了する見込みは無く、原告らにより同様の態様の争議行為が繰り返され、被告会社の損失が更に増大する可能性が極めて高かったこと、本件ロックアウト後、平成元年一月ころ、被告会社は、その工場の機械設備が、設備内の生コンが湿気により硬化し、使用不能となることを防止するため、右設備内のコンクリートを抜き取る作業を試みたが、原告ら及び連帯労組の組合員が実力で妨害したため、その作業ができなかったこと、被告会社は、再度右作業を計画しても、同様の事態が発生することが予想されるため、右作業を断念し、その結果、本件工場の再開には多額の資金を投入して右設備を取り替え補修することが必要となったが、被告会社にその資力がなく、結局、被告会社は、工場の再開を断念せざるを得なくなったことが認められ、右の事実関係に照らせば、本件ロックアウトが実施された当時、被告会社は、本件ストライキにより多大の打撃を受けており、原告らに対する賃金債務を免れる措置を早急に採らなければ、原告側が前記のような態様の争議行為を繰り返すことで、その企業の存立を脅かされる切迫した状況にあったものと認められる。

(四)  また、前記認定の事実によれば、原告ら一四名が運一労組に所属し新分会を構成していたところ、同労組と被告会社との間では、昭和五七年争議に関する原告三宅正剛ら旧分会役員の責任と処分等被告会社の六項目要求中未解決の問題についての話合いが継続され、昭和六一年九月、原告三宅正剛が、今になって思えば被告会社と自分達分会員の間にはストになる理由は何もなかったなどと記載した文書が、昭和六二年七月、運一労組安威川分会長原告豊田明彦名で、右争議について、組合員が努力し双方が充分な話合いと理解をもって問題解決にあたっていれば今日までの不幸な結果にならなかったと思う、今後、このような不幸な問題が起こらないよう組合員も努力し、労使がお互いを尊重し労使協議の上解決にあたるように確認するなどと記載した文書が、それぞれ、被告会社に対して提出されるなど、被告会社に有利に交渉が進展していたこと、運一労組と被告会社との間では、昭和六一年五月一七日、被告会社が、六項目要求中、昭和五七年争議の分会役員以外の参加者の責任問題と被告会社の右争議及び前記ユニオンショップに基づく解雇後の争議の実損回復措置として申し入れた新労働条件を昭和六二年三月二〇日までの暫定の協定とし、同年三月までの昇給を停止してボーナスも不払とするなどの合意が締結され、右合意に基づき被告会社から運一労組に対して一五〇万円が支払われたこと、被告会社と原告らの所属する運一労組及び新分会との間では、昭和六二年の夏季手当についても、話合いが妥結し、その支払も完了したこと、原告らは、その直後である同年九月、突然所属組合を運一労組から連帯労組に変更したとして、同労組の分会を結成し、昭和六一年五月一七日に凍結が合意され、過去三年数か月間凍結されてきた賃上げ、一時金、労働条件の凍結を解除し、右期間中の凍結にかかる未払賃金、一時金の全額の支払を求めるなど、右合意時に原告らが所属していた運一労組と被告会社との間でされた合意に反する内容の要求をして、右要求について団体交渉を求めたこと、原告らが連帯労組に加盟しその分会を結成した当時、被告会社には連帯労組の組合員はいなかったことが認められる。

右のような経緯、とりわけ、被告会社が、原告ら一四名の所属する運一労組及び新分会との間で、長年積み重ねてきた交渉と合意締結の経緯、原告ら一四名は、右団体交渉の直前に運一労組から連帯労組に所属換えをしたもので、当時同労組の分会を構成するのは原告ら一四名のみであったこと、原告らの右団体交渉における要求内容が新分会と被告会社との間で締結された前記の合意を覆す内容であった上、右合意は、被告会社が六項目要求の一部として要求し、原告ら一四名が所属する運一労組及び原告ら一四名で構成される新分会がこれを受け容れて締結したものであることなどに照らすと、被告会社が、原告らの右要求を、所属組合変更を奇貨として、六項目要求の一部について原告ら自身が分会員として承認した前記合意を破棄する行為に出たものであると考えたとしても、無理からぬものがあったというべきであって、被告会社が、昭和五九年一二月一三日、昭和五七年争議に関与しない従業員で構成されていた連帯労組との間で、三年後に右凍結を解除し、被告会社は誠意をもって連帯労組と話合い、凍結分の賃金、一時金、その他の条件等を協議し解決する、などの内容の合意を締結したことを考え併せても、被告会社が、右団体交渉において、原告三宅正剛の昭和五七年争議に係る分会三役としての責任と退職、処分の問題など従前から原告らとの間で長年話合いを継続し解決に至っていなかった六項目要求中の問題について先議することを求めて交渉に臨んだことをもって、誠意に欠ける交渉態度であるとか、正当な理由なく交渉を拒否したものであるということはできないし、むしろ、原告側が原告らが所属労働組合を変えたという理由で被告会社の要求する事項の協議に全く応じず、交渉を決裂させて、直ちに被告会社に多大の打撃を与える前記のような態様の争議行為に踏み切ったことは、性急な態度であったといわざるを得ない。

そして、被告会社は、本件ロックアウト開始後も昭和六三年八月から同年一一月二三日ころまで、原告らの代表者である原告豊田明彦との間で具体的な交渉を続け、妥結寸前まで至ったこと、右交渉が最終的に妥結に至らなかったのは、連帯労組武委員長ら同労組中央が反対した結果であることなどの経緯にかんがみれば、被告会社は、その交渉態度において誠意が欠けるとはいえず、また、前記のような原告側の争議行為の態様、被告会社がこれにより受けた打撃の程度などの点も考え併せると、本件ロックアウトを実施したことも、原告らの争議行為によって労使間の勢力の均衡が破れ、使用者たる被告会社側が著しく不利な圧力を受けるようになったため、このような圧力を阻止し労使間の勢力の均衡を回復するための対抗防衛手段としてやむを得ないものであったというべきである。

(五)  そして、前記認定のように、本件ロックアウト開始後、原告らの所属する連帯労組及び原告ら一四名が、被告会社に対し、本件ロックアウトの解除と工場の再開を申し入れたとはいえ、右申入れの趣旨は、本件争議行為の中止や方法の変更を申し入れるものではなく、本件ロックアウトを解除させ、被告会社が原告らの要求を受け入れなければ、被告会社と原告らとの間の労使関係を本件ロックアウト開始前の争議状態に戻すことを求めたものに過ぎないと認められる上、前記認定の経緯、とりわけ、被告会社が本件ロックアウト後も、原告らと交渉を継続し、妥結寸前にまで至ったが、原告ら連帯労組側の事情により妥結に至らなかったこと、被告会社が工場を再開するために必要不可欠な工場設備を保全するための生コン抜取り作業も原告ら及び連帯労組の実力による妨害により断念され、その結果、被告会社は、工場再開の断念を余儀なくされたことなどの事実を総合勘案すると、本件ロックアウトを相当とする(二)ないし(四)で判示した状況が、本件ロックアウト開始後に解消したとは認められず、被告会社が本件ロックアウトを継続したことも同じく労使間の勢力の均衡を回復するための対抗防衛手段としてやむを得ないものであるというべきである。

(六)  原告らは、被告会社の六項目要求中、昭和五七年争議に関する旧分会三役の責任と処分、争議参加者の責任及び被告会社の実損の問題は、昭和五八年五月二八日の協定により解決済みであり、その他の問題は、昭和六〇年五月一〇日付け確認書の際の合意により解決したか、被告会社の要求自体が筋違いのものであり、被告会社が右団体交渉において六項目要求中未解決の問題の先議を主張したのは、不誠実な態度であって、正当な理由のない団体交渉の拒否に当たる旨を主張し、原告三宅正剛本人尋問の結果、(人証略)には右主張に沿う供述が、また、(人証略)には右主張に沿うかのような供述部分がある。

しかし、前記認定の事実の経緯、とりわけ、昭和五八年五月二八日の協定締結後も、被告会社は、昭和六〇年四月一一日、原告らの所属していた運一労組及び原告らが構成する新分会との間で、運一労組は、被告会社と旧組合との間の昭和五八年五月二八日の協定を承継するとともに、被告会社の右六項目要求について引き続き協議し、解決に努力する旨合意し、その旨の確認書(〈証拠略〉)を作成したこと、昭和六〇年五月一〇日の確認書作成後も、被告会社と原告らの所属する運一労組との間では、右六項目要求中、昭和五七年争議に関する旧分会三役の責任等の問題についての話合いが継続されたこと(昭和六〇年六月二五日付けの〈証拠略〉において、原告らの所属する新分会は、六項目要求中、旧分会三役の責任問題など五項目の問題について、被告会社と話合いを継続してきたことを認めている。)、右話合いに基づき、前記のように昭和六一年七月、運一労組茨木統合分会安威川班の名で、原告ら一四名が署名押印して、過去の争議を教訓として事の善悪をひとつひとつ解明していくことを表明し、今後の健全な労使関係の確立に協力する旨の声明書(〈証拠略〉)及び同年九月、今になって思えば、被告会社と自分達分会員の間にはストになる理由は何もなかったなどと記載した原告三宅正剛作成の文書(〈証拠略〉)が、昭和六二年七月二七日、運一労組安威川分会長原告豊田明彦名で被告会社に対し、右争議行為により被告会社がしたロックアウト問題を踏まえて組合員が努力し、双方が充分な話合いと理解をもって問題解決にあたっていれば今日までの不幸な結果にならなかったと思う、今後、このような不幸な問題が起きないよう組合員も努力し、労使がお互いを尊重し労使協議の上解決にあたるように確認する旨の文書(〈証拠略〉)がそれぞれ提出されるなど、六項目要求中、少なくとも昭和五七年争議に係る原告三宅正剛の旧分会三役としての責任と処分の問題については、本件争議の直前まで協議が継続され、原告らも、これが解決済みの問題であるとして協議そのものを拒否することはせず、右協議に応じていたなどの経緯、(人証略)には、変遷が少なくなく、前判示の点も考え併せると、その正確性には疑問がある上、右証言中には、右六項目問題については現在も未解決であると考えている旨の供述部分もあって、同証人の旧分会三役の責任問題について解決済みであるという供述部分も、同証人の供述全体に対比すると、旧分会三役の責任と処分問題が最終的に解決したというまでの趣旨ではなく、昭和五八年五月二八日に被告会社が締結した前記の協定を運一労組が承継し、旧分会三役の責任と処分問題については、今後、同労組との間で話合いを続けることが定まった旨を供述したに過ぎないものとみる余地が多分にあること及び被告兼被告会社代表者田中一郎本人尋問の結果に照らすと、原告三宅正剛及び(人証略)の各供述は採用することができず、(人証略)の右供述部分も右主張事実を立証するに足りるものではなく、ほかに六項目要求のすべてが昭和五八年五月二八日の協定、昭和六〇年五月一〇日付け確認書の際の合意により解決済みになったとか、被告組合(ママ)の要求自体が筋違いであるなど原告らの右主張事実を認めるに足りる証拠はなく、原告らの右主張は、採用することができない。

3  以上の点など本件争議における諸般の事情を総合すれば、被告会社の本件ロックアウトは、衡平の見地から見て労働者の争議行為に対する対抗防衛手段として相当性が認められる正当な争議行為であると解すべきであり、したがって、被告会社は、原告らに対する本件ロックアウト期間中の賃金支払義務を免れるものというべきである。

4  したがって、原告らの被告会社に対する賃金請求はその余の点を判断するまでもなく、理由がなく、また、原告らの被告田中に対する請求も、被告会社に対する右賃金請求が理由のあることを前提とするものであるので、その余の点を判断するまでもなく、理由がない。

二  退職合意締結の有無

1  原告豊田明彦、同山本英明を除くその余の原告ら一二名は、平成六年三月七日付け請求の趣旨の追加的変更申立書により、被告会社に対し、雇用契約上の権利を有する地位にあることの確認を求める訴えを、従前の賃金支払請求に追加して訴えの変更の申立てをしたところ、被告会社は、右訴えの変更が時機に遅れた攻撃防御方法に当たる旨を主張して、その却下を求める。

しかし、右原告ら一二名が雇用契約上の権利を有する地位にあるか否かは、原告らの当初の請求である賃金請求の前提とされ、右請求に係る訴訟においても争点の一つとされていたものであり、右地位の確認請求を追加する右訴えの変更は、本件訴訟の完結を遅延せしめるものとは認められないから、被告会社の右主張は採用できない。

2  右原告ら一二名が、被告会社との間で雇用契約を締結したことは当事者間に争いがないところ、被告会社は、昭和六三年一一月二三日、原告豊田明彦との間で、同原告がその余の原告一三名も代理して、原告ら一四名全員が同月三〇日限り任意退職する旨の合意を締結したので、右原告ら一二名の雇用契約上の地位は右合意により終了した旨主張する。しかし、前記認定の事実によると、右合意の締結を認めることはできない。

3(一)  もっとも、(人証略)、被告兼被告会社代表者田中一郎本人尋問の結果中には、被告会社の右主張に沿う供述部分があり、(証拠略)によれば、被(ママ)告豊田明彦が、被告会社代表取締役である被告田中宛に昭和六三年一〇月二二日付け覚書を交付し、右覚書には、「安威川生コン社各業務請け負い業社設立にあたり、安威川生コン社五九年・六〇年六一年凍結時実績データーで請け負います。詳細については、商談の上で」という記載があること、(証拠略)によれば、同原告は、被告会社に対し、その余の原告ら作成の同月二四日付けの委任状を交付し、右委任状には、「労使紛争における解決に当たり、一切の権限を豊田明彦に委任します。」という記載のあることが認められる。

(二)  しかし、(証拠略)の右記載は、「詳細については商談の上で」とあるように、話合いの方向を記載した上、将来交渉の上確定的合意を締結する趣旨のものと認められ(被告会社自身、本件退職合意が成立したのは、右〈証拠略〉の作成時ではなく、更に交渉を重ねた後の同年一一月二三日であると主張する。)、原告らと被告会社間で最終的な合意内容を記載した書面が作成されていないこと、現在に至るまで、右退職金の支払、新会社の設立、本件訴訟の取下げなど被告らの主張する本件退職合意の内容が履行されていないこと、被告田中自身、その本人尋問中で、原告豊田明彦がその後退職を申し出たのに対し、懲戒解雇をした旨供述しており、被告会社が右退職合意が締結されなかったことを前提とする処理をしたことを自認すること、(人証略)は、原告豊田明彦が、同年一一月二三日、被告会社と了解に達して、被告会社から帰った後、被告会社の担当者の宮内に対し、同日の午後一〇時ころ、再会談を申し入れ、その場で、本件争議を指導した連帯労組の武委員長の意思を確認したところ、同委員長が右合意締結に反対なので、被告会社代表取締役である被告田中に右合意を断わるように伝えて欲しい旨申し出たこと、同証人自身、同原告が右労組武委員長の意向を確認することなく、右合意を最終的に締結すると考えていたのではなく、右委員長の了解が得られ、その結果、合意が成立するものと予想していたに過ぎない旨証言すること及び前記事実関係を総合すると、原告豊田が、仮に、同日被告会社との間で、被告ら主張の合意を了解する旨の発言をしたとしても、これは確定的に右合意を締結する趣旨ではなく、右委員長の了解を得られるという予測に基づき、最終合意に至ることができるという見込みを述べたもので、武委員長の意向を確認した上で、最終的合意を締結する趣旨を述べたものに過ぎず、このことは、被告会社の担当者である宮内も理解していたものとみるのが合理的であること、及び原告三宅正剛本人尋問の結果、(人証略)に照らすと、(一)の証拠から、被告ら主張の本件退職合意が締結されたとは認めるに足りず、かえって、右判示の点及び証拠を総合すれば、前判示のように、被告会社は、昭和六三年八月から原告らを代表者(ママ)して交渉に当たった原告豊田明彦との間で、交渉を進展させ、同年一一月二三日には、原告らが被告会社を同年一一月三〇日限り退社する、原告らは、運送会社を設立し、同年一二月一日から右会社が被告会社の専属下請として生コンの輸送に従事する、などの内容で概ね了解に達したが、原告豊田明彦は、最終的に右合意を締結する前に、争議を指導した連帯労組武委員長の意見を確認したところ、同委員長など連帯労組中央が反対したため、最終的には、合意を締結しない旨を表明し、結局、原告らとの間の合意成立には至らなかったものと認められる。

3(ママ) そして、被告会社は、本件退職合意が締結された旨の主張以外には、右原告ら一二名と被告会社間の雇用契約の終了事由を主張しないのであるから、右原告ら一二名の雇用契約上の権利を有する地位の確認請求は理由がある。

三  結語

以上によれば、原告豊田明彦、同山本英明を除く原告ら一二名の被告会社に対する本件雇用契約上の権利を有する地位の確認請求は理由があるのでこれを認容し、原告らの被告会社及び被告田中に対する金員支払請求は、いずれも理由がないのでこれを棄却することとする。

(裁判長裁判官 松山恒昭 裁判官 大竹たかし 裁判官 高木陽一)

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